院長・田中信圭
生年月日:1978年7月19日生まれ
趣味:お酒少々、食べ歩き、バス釣り、貧乏旅行(アジア)
これまでの歩み:小学時代はいわゆる 昭和のヤンチャでした。
そのヤンチャっぷりは高校生になると磨きがかかり、先生からは「雑草」と呼ばれていました(笑)。
今では、かなりのオヤジ体系ですが、当時部活はボクシング部に所属していて、そのころから腰痛が発症。
当時はまだ根性論が当たり前だったので、先輩たちからは「気合で直せ
!!」といわれながら腰の痛みなどは放置していました。
そんなこんなで、社会人になり腰痛が本領を発揮しだし、年に何回かは激痛でノックアウトされるような日々を送ってきましたが何とかいきのびてきました。
が、23才の夏、忘れもしないあの痛み、それまで体験もしたことのないような地獄のような激痛が、私に襲い掛かってきました。
当然仕事どころではありません。
立てない、歩けない、寝れない、座れない、痛すぎて食事ものどを通らない
このような状態が3週間ほど続き、病院に行きレントゲンを撮ると医師から「ヘルニアが原因です」と言われ、軽い感じで手術を勧められました。
私の、「手術すればなおりますか?」という問いに
医者は、「わかりません」と一言。
私は、心の中で「そんな手術できるわけないやん」と思い当然手術はしませんでした。
そんなこんなで腰痛を抱えつつ20代後半を迎えた時ことです。
一生忘れることのできない出会いがありました。
僕に治療家としてのイロハと精神を授けてくれた最初の師匠に出会うこととなりました。
この方との出会いがきっかけで
「この人みたいになりたい!!」
と思い、治療家を志すようになりました。
ここでその時の話をするのは文章的にとても長くなるので、そのうちブロ
グに書いていこうと思います。
私自身10年以上痛みと付きあってきましたが、今思えばほんとにつらい日々でした。
いつも「もう!!この痛みどうにかならんの!!」と嘆きながら、イライラ、落ち込み、怒り、悲しみ、不安、くやしさ、はがゆさ、恐怖などの感情がいつも心を支配していたように思います。
結果的に治療家として患者様の痛みを共感るといううえでいい経験になりましたが、できれば人生においてこんな辛い経験はしなくていいと思います。
私は治療家として、
「痛みで苦しんでおられる方々が最速、最短で痛みから解放され、低下してしまった人生の質を取り戻すお手伝いをさせていただく」という信念のもと日々取り組んでいます。
治らないとあきらめかけている、生きていくのがつらい、この痛みどうにかしたいという方は、ご縁があれば是非お手伝いさせてください。
精一杯、誠意をもって取り組ませていただきます。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
副院長・濱洲京子
生年月日:1983年2月6日
趣味:寝ること、愛犬の散歩
これまでの歩み:はじめに就いた職業は保育士でした。毎月、毎月の楽しみは給料が出た後に行くリラクゼーションマッサージ。
今思えばマッサージに行きたいほど高校の頃から頭痛、肩コリに悩まされてきました。
20歳の頃からお守りのように持ち歩いてた鎮痛剤。このお守りとの付き合いはその後も続いて行きます。
その後、25歳のとき、リラクゼーションのお店で働きだしてすぐ右肩の激痛…。五十肩と診断されレントゲンにうつる白い影…。痛み止め、電気治療、カイロ、整骨院、マッサージ・・・
色々な治療を試しても痛みがとれないまま1ヶ月後仕事復帰…
痛みをごまかしながらの毎日でした。救ってくれるのは鎮痛剤のみ。ひどいときは毎日のようにのんでいました。
その後、めまい、難聴に悩まされ大量の薬をのむ経験もしました。
あるとき内科の血液検査で引っかかった肝臓。これは後に薬の飲み過ぎということがわかり、薬をやめた瞬間から身体の不調が少しずつ減っていきました。
治療でもリラクゼーションでも出会う患者様、お客様の身体をみていると、わたしと同じで自分の身体からのメッセージに気付かず薬で誤魔化している方が多いです。
わたしのようにスッキリした身体をぜひ味わってほしい。
薬ではなく身体と心からのメッセージに目を向けて向き合ってほしい。
特に女性は家族のことが1番で自分のことを後回しにしている方が多いです。
女性が元気だと日本は、いや世界は元気になります!!!
自分もきつい思いをしてきたからこそ、たくさんの方を笑顔にしていくぞぉーーー!!といつも思っています。
患者様からの
ありがとう
は何とも言えないわたしの元気の源です。